カイと猫のバンコク珍道中

赤い皇帝  ヨシフ・スターリン

こんにちは、カイです。

 

 

今回はスターリンについて。

 

ヨシフ•スターリンソビエト連邦の政治家で第2代ソビエト連邦最高指導者。

ちなみに名前は機関紙プラウダの編集長をしていた時に考えた名前で「鋼鉄の人」という意味。本名はヨシフ・べサリオリ・ジュガシヴィリ。

1878年12月18日にロシア帝国グルジア地方のゴリで生まれた。(今はジョージアという国になった。)

 

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神学校に通った後、レーニン率いるボリシェビキに参加。ロシア社会労働党が分裂してできた左派の一派。そしてレーニンロシア共産党による独裁国家が成立。

しかしレーニン脳卒中で半身不随となってしまう。これまで良好だったレーニンスターリンの関係が次第に悪くなっていく。それはレーニンの遺書にも書かれている。

その後レーニンが亡くなるとレフ•トロツキーとの後継者争いに勝ち、自らに権限を集中させる。ここからスターリンの恐ろしい独裁政治が始まる。

 

まず自分に少しでも歯向かうような党内の人間を党から追放。その後トロツキーソ連からも追放。謝罪したカーメノフとジノヴィエフは復党が許された。

 

そしてゲーペーウという秘密警察を設立。これは邪魔な人間を粛清するための組織で

その組織を作った後第一次五カ年計画が始まる。

これはコルホーズという集団農場を作り農民を一まとめにする政策で、そこで収穫された穀物は全て国のものとなった。農機具も共用で反発する者がたくさんいたが、約1000万人もの人が辺鄙な地域に送られるか処刑されたりした。

他にも民族主義者や知識人、スターリンに従わない人間を次々の粛清。トロイカと呼ばれる簡易裁判で有無も言わさず死刑に。これは人数が多くて時間が無駄なのでさっさと死刑にするためにできた。

死刑にならないものは流罪にし、シベリアなどの奴隷収容所で死ぬまで働かせた。

 

その後スターリンは刑法第58条、死の法律「反革命罪」をつくった。

当時1926年。

政府の転覆や崩壊、革命成果を弱体化させる行為すべてを禁じた。

これにより共産党員や民間人、外国人までもが収容所の送られることとなった。

 

収容所では金鉱の採掘や建設作業などの重労働で1日の半分以上働かされていたとか。

場所もシベリアなどの寒い地域なので冬になるとあらゆるものが凍り、凍傷で手足などを切断せねばならなかった。食事も極端に少なく飢えを凌ぐために死体の肉を食べるものもいた。もちろん賃金などはなかった。

これは収容所だけの話ではなく死体を売買して食べるということはあったらしい。

 

そしてだいたいの囚人は冬を越せず死に次の夏に新しい囚人が送られてくるというサイクルを繰り返す悲惨な状態が続くことになる。

それにより金2000トン、銀3200トン、プラチナ30トンが国家のものになった。

 

この頃になると同じ連邦内のウクライナも大変なことになっていた。

1930年代初めにはコルホーズが強制的になっていった。

ソ連秘密警察はウクライナ民族主義者、ウクライナの知識人、反抗する者などを容赦無く処罰するようになった。

ウクライナは元々豊かな土壌に恵まれていたがそれでも収穫高に届かなかった。

それでも収穫されたものは国家に収めなければならず、ウクライナ人の食べるものは無くなっていった。

人々はジャガイモで飢えを凌ぎ食べられるものはなんでも食べた。ついには病死した馬や人間の死体まで食べ、それによって病死する人も多かった。

 

 

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 これはその頃の話の映画です。

 

ソ連政府は5カ年計画の成功を宣伝し、外交的承認を得ようとしていたためウクライナの飢餓を認めるわけにはいかなかった。

(この頃世界恐慌の影響でソ連以外はすごく貧しかった)

 

この事実をソ連が認めるのは1980年代になってからのことである。

 

この出来事はスターリンによる人災で起きたことは間違いなく、400万人から1450万人が死亡したとされている。

 

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1937年、「古い細胞を除去し、党を一新されねばならない」と最大規模の大粛清が始まる。密告を推奨し、スターリンに批判的な者は次々に銃殺され、しまいには不当な密告により関係ない人間ま大量に殺害された。

子供が親を密告することもあった。自分に恨みを持つ人間が嘘の密告をすることもあった。

ソ連秘密警察が深夜訪れることから民衆は満足に眠ることもできない。ただ夜が明けるのを待つ日々。

この年だけで何百人も連行され、半数が銃殺されたと言われている。

 

それは軍をも対象にし次々と将校は殺され、これにより軍は弱体化した。

挙げ句の果てに刑を執行してきた秘密警察までもが粛清されるようになっていった。

 

1939年、第二次世界大戦でドイツがポーランドに侵攻。ソ連はドイツとの秘密議定書に基づきポーランドを東西に分割し併合する。

この時スターリンは、第一次世界大戦後のポーランドソビエト戦争で自身のメンツを潰された雪辱の機会を得る。ポーランド軍の捕虜約22000人を虐殺するのだ。

この事件は後に覚えやすいという理由で「カティンの森虐殺」と呼ばれる。

 

翌年1940年、バルト三国へ進軍。反発する住民13万人が逮捕され強制収容所に輸送される。

さらに翌年の1941年、ヒトラー率いるドイツ軍は協定を破りソ連に侵攻。

粛清による軍の弱体化は著しかった。

1942年のスターリンによる死守命令「ソ連国防人民委員令第227号」により、命令なしで自らの位置を離れたものは銃撃され、敵に降伏した兵士の家族は逮捕され、前線では兵士が後退しないように機関銃が設置された。

スターリングラード防衛戦ではこの命令により14000人あまりの兵士が自軍によって銃殺されたとされている。

 

ここまでを前半とします。

 

今回なぜスターリンについて書こうと思ったかというと、「名前は知ってる!」という程度の人が結構多いことに気づいたからです。

世界最悪の独裁者といえば僕の中ではダントツでスターリン。その次がポルポト、そして毛沢東でしょう。

ヒトラーは全然もっと下です。こんなことに順位をつけるのもどうかと思いましたが。

 

別に歴史に疎いから悪いとは思いませんが、やはり多様性を求める今の時代にはある程度の歴史は知っておいたほうがいいかとは思います。

 

 

 

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